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京都旅行のこと..続き

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一日目は久しぶりに従兄姉達と楽しい時間が過ごすことができ、次の日は母、私、娘の3人水入らずで京都を楽しむことに。

今回泊まった宿の目の前に「京都市立動物園」があったので、まず朝起きてそこへ行くことに。最近はもう動物を見ると楽しくて仕方ない娘は、はしゃぎっぱなし。何を見ても目をきらきら輝かせて「これは?」「これは?」と聞く。途中ばあばに買ってもらったシロクマのぬいぐるみをしっかり抱いて、「くまちゃんもよ。」と言って、いろいろな動物を見せてあげている姿が微笑ましかった。

だいぶ歩いてお腹もすいたので、母と南禅寺近くの豆腐懐石を食べることにする。南禅寺で豆腐懐石を食べるのは、高校の修学旅行以来のことだと当時を思い出す。散歩途中で娘が寝てしまい、豆腐好きな彼女にも食べさせてあげたかったけれど、室内はぽかぽかでぐっすり、起きる気配なし。仕方ないので母と2人で食べることに。

その後、また徒歩で南禅寺へ。南禅寺では、素晴らしい紅葉を沢山見る。

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そして一端宿へ帰り、一息ついてから、また出掛ける。夜は高台寺のライトアップを見るのが目的。高台寺に行くバス停にて日の落ちかけた京都の山が見え、それがとても幻想的だった。

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さて、歩いて高台寺に向かい、高台寺にてライトアップされた紅葉を見る。その日はちょうど満月で、シルエットの山の上に、高々とまあるい綺麗なお月さまが浮かんでいて感動する。初めて見た高台寺の紅葉は素晴らしかった。特に、庭の池に映る赤いもみじのライトアップが素晴らしくてため息。しばし見とれる。

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最後に見た竹林のライトアップはとても幻想的で、なんだかかぐや姫が下りてきそう。
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たっぷり紅葉を堪能したあとは、都路里にて抹茶そばと甘味を頂く。いつもより少し夜更かししてのお出かけに娘も興奮気味だったが、朝から夜まで、とても充実した一日になった。
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by blossoms_0606 | 2009-12-30 00:46 | 日常

京都旅行のこと

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もう今年も終わってしまいそうだけれど、今月のあたまに出掛けた京都旅行のことは、とても良い思い出として刻まれた出来事だったので、記しておく。

私よりも9つ年上の従姉に赤ちゃんが産まれたという報告を受けたのは、10月の終わり頃。2年前に従姉の結婚式に行った時は、私のお腹に赤ちゃんがいた。その子はもう1歳10ヶ月になりぐんぐん成長し、そして今度はまた新しい命に会えるかと思うと、なんだかとても感慨深かった。

そして今回、その赤ちゃんに会いに行く為に、私と母、そして娘の女3人で旅行に出かけた。母とこのように女同士で旅行をすることは、娘がいないときもなかったことで、なんだか少し嬉しいのだった。そしてその2年前の従姉の結婚式以来会っていない従姉や伯母に会えるのもとても楽しみだった。

私には連絡をとっている従兄姉が3人いる。そしてそのそれぞれに家族があって、私はその皆をとても大切に思っている。年は私と10ほども離れているのだけど、私は長女で上に兄姉がいない分、昔からとても優しいその3人を自分の本当の兄や姉のように思って来た。それでも、小学生、中学生の頃の10の年の差というのは大きいもので、当たり前だがその頃には私は彼らにとって話し相手にもならなかった。大学の頃も、その頃既に社会人として何年も働いている彼らとは、まだまだ話が出来なかったと思う。それでも私もやっと人の親になった今、ようやく従兄姉と少し距離が縮まって話が出来るようになったかなと思ったら少し嬉しくなった。

小さい頃、まだ1歳にもならない私が、従兄姉に抱かれている写真がある。今回、初めて娘を彼らにお披露目したのだが、従兄姉の一人が開口一番「(私の)小さい頃にそっくりだね!」と言ってくれ、その言葉が写真の風景を思い出させてなんだか嬉しくなった。そしてあの写真からもう30年以上たって、今度は従兄姉が私の娘を抱っこしてくれている。それがとても感慨深くじんとしてしまった。

私達のために一日時間をとってくれた従兄と、大原まで紅葉を見に出掛けたり、母と伯母が仲良く話しながら歩く姿が見られたり、私の要望で恵文社に寄ってもらったり、その後は待望の従姉の赤ちゃんを見に行ったり、夜はまたもう一人の従兄家族と夕飯を囲んだりと本当に盛りだくさんで、今までの京都旅行で一番印象に残ったのではないかと思うくらいの充実した一日だった。
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by blossoms_0606 | 2009-12-30 00:45 | 日常

おはなし

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いつのまにか、ノノコさんは1歳10ヶ月。
心も体もものすごい勢いで成長しているこの頃。
最近は、「ののも!ののも!」と言っては、何でも自分でやりたがる。

そして、最近の言葉の修得には本当に驚かされる。
この小さい人の頭の中は、いったいどんな風になっているのか。
どうやって、ことばというものを修得していくのか。
ある特定のものを見て、それが◯◯という名前を持っているということだけでなく、それと同じ体裁のものを他で見かけても、きちんと名前を把握しているのは、どういう仕組みなんだろう。
例えば、くまのプーさんを見て「プーさん」という。それは、目の前にあるこのくまのぬいぐるみがプーさんという名前なのではなくて、黄色くて赤いシャツをはいたくまはみんなプーさんだと、ちゃんと理解しているのか…。そうかと思うと、プーさんが別の色で描かれていたり赤ちゃんの格好をして表情が全然違っているプーさんでも、ちゃんとプーさん、プーさん、と言うのだから驚く。猫だって、どんなにちっちゃくても、キャラクターの猫でも、招き猫でも、みんな「猫ちゃん!」と言う。親が全然気がつかないような場所の猫の写真をさして、「ねこちゃん!ねこちゃん!」と言うので、「どこ?猫ちゃんいないよ?」と言っても、あとでずいぶんと遠くの方に小さな猫の写真があったりに気づいて、本当に驚くばかり。

ちょっと前までは「ママ」「トト(お父さんのこと)」と呼んでいたのに、あっという間に「おとうさん」「おかあさん」と呼べるようになった。
そして、最近は、たくさんの語彙がつながって、普通に会話をする。
自転車をこいでいる私に向かって、「おかあさん、何してるの?」と聞くので、「おかあさんは、自転車をこいでいるのよ。ののちゃんは?」と聞き返すと、「ののはぼうし(ヘルメットのこと)かぶってるのよー。」と答える。「じてんしゃにのっているのよ」と答えずに、ヘルメットのことを答えるところがまた面白い。

ある休日の朝、用事があって、私とノノコさんが起きる前に出掛けた旦那さん。その後に起きたノノコさんは、私の隣で私の肩をポンポンと叩きながら、「おかあさん、おとうさんは?」と、なんともはっきりした言葉で話しかけてきて、そのときもかなり驚いた。一瞬夢かと思ってしまうくらい、それほどはっきりした発音だったのだ。

お風呂上がりの本読み。「ののちゃん、読んで欲しい本をもっておいで。」と言うと、「はーい。」と行って、本棚のところまで行き、「これがいいのよー。」といって、酒井駒子さんの「こりゃまてまて」を持って来る。酒井さんの本は家族そろって大好きで、ノノコさんは「よるくま」が大好き。何度も一緒に呼んでいるから、最初の2ページくらい、部分的に一緒に暗唱ができる。

「あらそう、まま、しらなかった。どんなこがきたのかな?」(私)
「おとこのこかな?おんなのこかな?」(ノノコさん)
「ううん、くまのこ。」(ノノコさん)
「だいてみたらかわいかった。そのこはよるくまというなまえ。」(私。「抱いてみたら…」のところで、ノノコさんをぎゅーっとする。)

最近は、私が何も見ずに「だいてみたらかわいかったー」といって、ノノコさんをぎゅうっとするだけで、「あ!よるくまちゃん!」と言って、絵本を持って来るようにもなった。

この間のこと。「こぐまちゃんのご本を持っておいで。」と言ってみたら、「はーい」と言って、本棚へ行く。最初は背表紙しか見えなかったので、さすがに探すのは無理か…と思ったら、本を一度に何冊か引き出して、一度床に表紙が見えるように広げて、「あ!あったー!」と言って、見事に「こぐまちゃんとどうぶつえん」の本を持って来たのだ。

本当に、もう言葉が通じているんだなあと思う最近。毎日のように驚かされている。それだけ自我もはっきりとしてきていて、大変なことも本当に増えてきたけれど、手をつないで一緒に歩いたり、お風呂で一緒に歌を歌ったり、作ったご飯を「おいしいね〜」と言ってくれたり、怪我したところを見て「おかーさん、だいじょうぶ?」と言ってくれたり、幸せなこともそれ以上にたくさん、たくさんある。この小さな女の子がこの世に産まれてきて、まだたったの1年と10ヶ月なのかと思うと、本当に感慨深く、これから、どんなに素敵なことが彼女にも私にも訪れるのかと思うと、楽しみでならない。

歌える歌(メモ)
・チューリップ
・メリーさんのひつじ
・かえるの合唱
・さんぽ
・どんぐりころころ
・ぞうさん
・さっちゃん(歌詞を「ののちゃん」に変えて)
・いぬのおまわりさん
・ゆりかごのうた
・六甲おろし
・ひげじいさん
・いとまきのうた
・かたつむりのうた
・ぶんぶんぶん
・「あんぱんまんはーきみさー!ちからのかぎりー」というフレーズ。
などなど。
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by blossoms_0606 | 2009-12-11 16:53 | nono…1year

赤星選手のこと

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阪神タイガースの選手会長でもあった、赤星憲広選手が、突然の現役引退報告をされた。最初にニュースでその文字を見た時は、本当に自分の目が信じられなく、このニュースが誤報であったら良いのにと、何よりも強く思った。だが、その願いは叶うことなく、夜のニュースで、赤星選手の引退会見の様子が流れるのを見て、ああこれは現実のことなんだと、自分を納得させるのにしばらくの時間が必要だった。

私が阪神タイガースの本格的なファンになったのは、2003年と、まだ日が浅い。でも、その2003年に阪神タイガースは実に18年ぶりにリーグ優勝し、その優勝を決めるサヨナラヒットを打ったのが、赤星選手。身長が170cm少ししかない、野球選手としてはかなり小柄な赤星選手は、バッターボックスに入るまえに、当時の星野監督に肩を揉まれながら何か囁かれた。(それは後で「前進守備だから、思い切って振ったら守備の頭を越えて行くぞ!」というような内容だと赤星選手が語っていたけれど)その通りにバットを振った赤星選手の打球は、野手の頭上を越えて行き、そのままそれがサヨナラヒットになり、タイガースは優勝を決めた。ホームに戻ってきた赤星選手は、顔をくしゃくしゃにして、星野監督に息子のようにギュウギュウと抱きしめられていたのが、本当についこの間のことに思えるくらい、鮮明に私の頭の中の映像として残っている。

それ以外でも、負けず嫌いの勝ち気な表情だったり、盗塁するときのリードの大きさだったり、センターを守っているときの守備範囲の広さだったり、同期の藤本選手とじゃれあっている姿だったり、ムードメーカーの金本選手にからかわれている姿だったり、沢山の映像が今でもすぐに思い出せるくらい頭の中を占めていて、とにかく私にとって阪神の赤星選手の存在は大きかった…。一時は、赤星選手が塁に出ればまず一点は固い、と言われていたこともあった。それだけ投手にとっても赤星選手の俊足は脅威だった。その赤星選手のプレー、あの勝ち気なリードがもう見られないことが、本当に本当に寂しくてならない。もう、球場で赤い星が描かれた応援ボードが掲げられるのを見ることもできない。

それでも、引退がどれほどつらいかは、赤星選手が一番分かっていること。涙一つ出さない引退会見を見ていて、私のほうが涙をポロポロこぼしそうになった。とってもとってもつらいことを話しているはずなのに、しっかりと自分の言葉で、報道陣の方をまっすぐに見て話している。よく涙を我慢できるものだと、感心してしまうほど。その中で、怪我の具合が、私たちが思っていたものよりも、ずっとずっと重いものだったことを知る。プロのアスリートとして競技を続けていくのは、選手生命ならず、命の危険性までも考えられるとのこと。

毎年、シーズンオフには沢山の選手が引退や移籍をしていく。年齢的なものだったり、戦力外通告をされたり、その理由はいろいろあると思うけれど、赤星選手の場合は突然過ぎた。本人にとっては突然ではないのかもしれないけれど、少なくとも私たちファンにとっては。それでも、シーズンが終わってすぐではなく、この時期に突然の引退会見ということは、本人も相当悩んだのだろうと思う。「必ず復活します!」とブログなどにも書かれていたけれど、それは偽りの気持ではなかったと思う。それが叶わなかったことが、一人のファンとして本当につらい。

赤星選手は、2001年にJR東日本に在籍していたときオリンピック代表になり、社会人野球から野村監督にスカウトされて阪神に入団。だから、まだ、たったの9年しか阪神でプレーしていない。たったの、たったの9年なのかと、何度も言うけれど寂しさを拭いきれない。9年という年月はプロ野球選手としては、短すぎると思うけれど、9年間、全力で駆け抜けた赤星選手を、神様は少し休ませてくれようとしているのではと、自分を納得させた。

潔く、自分の手で9年の選手生活に幕を降ろした赤星選手に、今は心からおつかれさまと言いたい。そして、これからも何かの形で、野球に関っている赤星選手の姿を見られる日が来るのを、切に、切に願う。
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by blossoms_0606 | 2009-12-09 22:23 | スポーツ